こんにちは、ku-minです。
思考力のある人 になりたいと思っている人は多いと思います。しかし、どうやったら思考力のある人になれるのか?そんな疑問に、読脳法を使って、思考力のある人になる方法を、読脳アカデミーの講義の動画と共に、解説しながら、一緒に学んでいきたいと思います。
思考力のある人 になるために読脳を使うと責任を持つ生き方に変わる
この記事では、思考力を養うための読脳という視点で、記事を書いていきます。
[読脳をどう扱えばいいのか]というタイトルのYouTube動画、スクールの講義の中で、伊東先生が話している内容を、咀嚼しながら、必要な情報を脳に叩き込んでいきたいと思います。
伊東先生のトークに、私の疑問や感想を差し込んでいきますが、最後に、[読脳をどう扱えばいいのか]の動画を貼りましたのでご視聴ください。
結論からまとめます。
自分の生き方に目的意識や、問題意識を持つことが、読脳を学ぶ前提である。
故に、読脳に関わる際は、これらの意識を高めるために、本や、YouTubeの動画をたくさん見て
読脳の概念を知り、意識を高める必要がある。
そう言った意味で、読脳を学ぶ人は、まず、YouTubeの動画をたくさん見て、本を読んでからでないと、その条件をクリアしないと、相談や体験や、読脳カフェに参加できないんですね。最低限の共通の情報、価値観を持っていないと話が通用しないので、脳の情報が出てこない。ということで伊東先生は役に立ちたくてもできない。と言っています。
読脳の扱い方ですが、それは、どう学んでそれをどう使っていくか?ということですが、
今、困っている一部分だけではなく、
- 自分は困っている。
- それは原因がある。
- その原因は、どういう原因なのか、
- どうしてそうなったのか!
- どういう経過をたどって今こうなってるか。
- どういう経過を辿ればこんな風になれるのか。
という全体に関わって指導するということです。
全部がワンセットで、その全部を読むのに読脳を使おう。ということなんです。
原因がある→ 経過がある→ 今がある→ そして目的を達成する。
そうする事で、自分の人生に責任を持って生きることができる。
困っている一部分だけではなく、今、自分は困っている。それは原因がある。その原因は、どういう原因なのか、どうしてそうなったのか!
どういう経過をたどって今こうなってるか、そして、どういう経過を辿ればこんな風になれるのか。
という全体に関わって指導するということです。全部がワンセットで、その全部を読むのに読脳を使おう。ということなんですよね。
原因があり、経過があり、、今があり、そして目的を達成する。頭がクリアになってきました。
子供の時から 思考停止で生きてきた自分に思考力をつけるチャンス!やってなかった、やってこなかった事、それをやり始めましょう。
では、動画を文字起こししました。伊東先生と私がトークしている風に構成してみました。一緒にストーリーを咀嚼していきましょう。
本来、どんなことにおいても自分で責任を持って生きなきゃいけないわけです。
はい、そう、思います!
責任を持つ事ができなくて、結局いろんな場面で、逃げ出すとか、人任せにするとか、うやむやにしてしまとか、日本には多いですよ。それが許される。許されるというか「しょうがない!」と、自分もそうだし皆がそうだから。甘い社会というか、色んな事が曖昧にされてきてますよ。
確かに!そういうシーンは、日常でも、政治でも、よく見られます。日本人は相手の気持ちを損ねないよう同調的であろうとする。協調を重んじる気質があり、自分の意見を主張しない方が良いと思っている。違う意見=敵と思ってしまう人もいるので、議論が苦手で、対話が苦手。心に思っていても主張することをしないので、そこが、曖昧さにつながっているのかもしれません。
一方、外国人は、幼い頃から自分の意見をはっきり言うことを尊重されてきているので、自分の意見を言わないと、頼りない人と思われる。といった気質的に、国民性の違いがありますね。
それは多分、昔、江戸時代も、その前も 自分達よりも上に偉い人がいるわけですから、自分の命でさえも、その人たちが握っているという中で、家畜のような、奴隷のような存在ですから、何もかも、自分で決断して、自分でやらなければいけないという事が、それほど重要視されないっていうか 結局は、最後は上が決めるんだからっていう、そんな社会だったのかなと思うんですけれど。
そういった事からか、自分の存在価値が低く、自己肯定感が低い人が多いと思います。思い返せば、小学校で「黙って言われたことをやりなさい!」的な事って皆言われてましたよね。黙って言われたことを、サクサクやる子が評価されてましたね。あ〜、これは、考える力が育たないルーツの一つですね。
海外では、そうではなくて、何もかも、自分が責任持たなければならない。結局は自分に責任があって、最後は自分に戻ってくるんですけど、日本の社会も一緒なんですけど、それに対して、責任を持たない、取らないってことに慣れちゃっている。相手側が、「まぁしょうがない!」って、お互いにそういう所があるから、それが許される。そんな曖昧な国になっているってことで、海外から、ちょっと訳のわからない国民だなぁと、昔から言われているんだと思うんですけど。それが変わってきてるかといえば、変わってないんですよね。
責任の取り方がわからないというのがあると思います。例えば、政治ですけれど、全く信用できない。何か悪いことしても「記憶にございません!」とか、昔ありましたが、責任の取り方は、あれでいいのか?とほとんどの国民が思っていると思いますよ。しかし、もはや日本国民は、主張の方法すら、わからなくなっている。どう主張したら良いのか、この納得行かない気持ちをどう表現したら良いのか、手段がわからないです。
ずっとそんな感じできてる。それがいろんな分野、教育でも医療でも夫婦間でも家族関係でも、色んな分野でそういう事があるんでしょうね。曖昧!いい加減!適当!信頼できない!っていう、もっとこう責任持つって事があれば、相手側も、自分も、責任持たなければいけない、というところで、自立っていいますかね、しっかりしなければいけない、ていう社会になると思うんですけれども。結果がそうでないことの結果、ただ年を取ってしまう。
おっしゃる通りです。ただ、年をとってしまいました。気持ちの良い問題解決法をいつも探していたような気がします。探していながら、どうしたら良いかわからない問題だらけでした。
年をとると共に、そういった責任が色々と出てくる訳ですから、責任を持つことで、もっと大人になっていくんですが、大人になっていけない。大人になっていかない社会といいますか。子供とおなじように、そんなに責任持たなくても、なんだかんだやっていけるっていう社会なんですよ。
まさに、そういう感覚は、あります。皆があまり難しく考えてない。色々言い出すと、あの人、うざいね!って言われてしまうみたいな。皆が子供っぽいままで生きてる。成長のしようがないというか、確かに「大人になっていかない社会」ですね。日本人特有だと思います。
大人も子供もあんまり区別ができない。小学生はともかく、中学、高校生位になると、大人とほとんど違いがない。大人は中学生高校生並み。中学高校位になると、今の大人と同じくらいのことができる。あんまり区別ができない。っていう、そんな風になっているのかなぁ。って分析はしてないけれども、多くの人が、まぁ結果的にはそんな風に感じているんじゃないかと思うんですけれど。
そんな感覚ではあると思います。なんとなくニュアンス的にはそう感じていましたが、言葉で表現すると、的確すぎてドキッとします。
それじゃぁ、自分にとっても、相手にとっても、社会にとっても、まずいですよねぇ。夫婦の間でそれをやると、お互いどちらかが、会社に勤めて社会と関わってる。でもそういう社会。そういうようなことをやってる夫婦が、家庭を持って子供ができると、子供にそれやりますから、子供がそんなもんだという風に身につけて、そんな調子で社会に出る。そんな人間が、社会に出て出会って結婚する訳ですから、それの繰り返し。つまり家庭で責任を持たないということを身につけてしまう。
負の連鎖!というか、現に、負のスパイラル構造社会です。子育てのシーンで責任を持たせる事は本当にむずかしいです。特に一人っ子のケースではその場を作ることが難しかったです。
掃除をしろって言っても、自分のところを片付けろって言ってもやらない。やらなくても、結局は親がやってしまう。子供に責任を持たせない。まあ、そんなことをやってきたんでしょうね。今もそうだと思うんですけれど、だから責任の持ち方がわからない。そういう家庭で育ってきてますから、責任を親から持たされてない。子供の時から、小学校行く前から、自分が寝た布団は 自分で畳んで、自分で片付けて、布団で寝るときは自分で出して、とかパジャマは脱いだらすぐ片付けるとか、食事のことも、全部そういうことは子供の時から躾けてやるべきなんだけれども、やってないんでしょうね。言ってもしょうがない。聞かない。当然子供ってのは、我がままですから聞かない。でも、それをやっぱり聞かせるっていう、それはどうしてっていう この、どうしてっていうのが機能してない。それがしっかり機能すれば、やっぱり躾けなきゃいけない。これはできないと困ると。本人も困るけど、周りも困るし。結局 親が、自分もそうやって育って、小学校中学校高校と、ずっとそういう社会ですから 本当に身につかないんでしょうねぇ。私の周りにもそういうのがいっぱいいますけれども、ん〜、育たないんでしょうねぇ。
子育てでは、母親は時間に追われて、いうこと聞かない子供の代わりに、やってしまうことってよくあります。どう躾けていいかわからないまま、時間が流れて躾けるタイミングを逃してしまうのではないでしょうか。
それじゃぁ、絶対に困るし、困ってますよねぇ。困ってるけど、どうしていいかわからない。そんな中で、本当に困るっていうのは、病気になった時ですかねぇ。本当に困ったっていう状態になって、じゃぁどうするのか。相変わらず、病院へ行ったり薬飲んだりしてると、それは変わらないですよねぇ。それじゃあダメだということで、じゃあどうしたら良いかと、悩んで、悩んで、今まで そういうのはなかったけど、YouTubeを見ると、「QOLを自分で高める」っていう、「読脳」っていうのを見つけて、YouTubeを見ると、ひょっとしてこれだったら…….。そういうきっかけで私と関わった訳ですけども。
向き合わなければいけないと分かっていながらズルズルと時間がたってしまい向き合うチャンスを逃してきたけれど、もう向き合わざるを得ない状況が「病気」ですね。
で、私がやるのは、自分の脳の情報を読むっていうことを、そういう人に、やっぱり利用してほしいですよ。
読脳の扱いにおいて言えるのは、今困ってる、この困ってるっていうのを良くする為に、ということしかやらない。となると、それは今までも、困ったら その時だけ。その時だけ?そうじゃなくて、困る前に困らないようにするのは、どうしたら良いか。を考えられないと、ここですよ。で、困るってことは、自分だけじゃなくて、周りもみんな影響を受けるんだという発想。自分を含んで 周りも、っていう発想ができないから、そうなっちゃってるわけですから。
もう一歩、踏み込んで考える力が、必要ってことですね。
だから読脳っていうのは全部入ってるんですよね。ただそん時だけ、今、都合悪い、痛いからどうしたらいいか? それでは「Oリング」って検査があるんですけど、それと同じやり方になってしまう。困ったら答えだけ欲しい、っていう、それだけのやり方ですけど。
そうじゃなくって、私が指導する読脳っていうのは、今、自分は困っている。それは原因がある。その原因は、どういう原因なのか、どうしてそうなったのか、っていうのがあって、どういう経過をたどって今こうなってるか、そして、どういう経過を辿ればこんな風になれるのか。っていう、ここ全部ですよね。ここ全部がワンセットで、その全部を読むのに読脳を使おう。ということなんですよね。
なるほど。そういう思考の力が必要だと思っていました。でもどうやって考えたら良いのかわかりませんでしたが、希望が湧いてきました。
それなのにここだけ!今辛いからどうやったらいいか。それは食うために治療をする。食うために今患者が訴えていることを、ちょっとでも変化を与えることができれば、お金もらえるから、という治療と同じですよ。治療っていうのは、そういう治療がほとんどですけど、皆さん、そういう治療に慣れてるのか、そうじゃなくて私の読脳は全くそうじゃなくて、だから私のは治療とは言わないですけれど、その全部、その全部を考えることができる。
治療的な感覚は、この社会で生きている人には、皆にあって、「そうじゃなくて!」と意識的に生きていく習慣は必要ですね。
読脳以外であれば、考えることができない。上から決められたことを守るだけ。それを守っていればそれなりに生きていける。ところが、そうじゃなくて病気になっちゃった。じゃあどうしたら良いか。それは予定になかったことですから、もう自分じゃ何もできない。人任せ。放棄。ただ、人任せに生きている。っていうのがほとんどですよね。
その上で私と出会ったのであれば、今、困っているっていうことを、ただ良くすることだけのために読脳を使うんじゃないんですよ。原因があって、経過があって、今があって、そして経過して目的を達成できる訳ですから。これはもう子供の時から もうそんなことはあった訳ですからそれをやってなかったやってこなかった。それをやるんですよってことですよね。
病気になって、読脳に辿りついた人は、やってこなかった事を、意識的にリカバーすることができる。これは、とてもラッキーだと思います。ただ、ただ、病気で苦しんで衰弱していく人がほとんどな訳ですから。
読脳の扱い方、読脳をどうそれを利用していくのかということに関しては、自分に目的意識、問題意識、そういうのがあることが前提です。それがない人とは、関われないですよ。読脳カフェでもそういう人は来ないで欲しい。スクールでもそういう人は参加しないで欲しい。っていう風にしてます。ただ生徒がたくさん集まればいい。そうことしてないです。役に立ちたいわけですから。
ありがとうございました。この全体性を極める事、目的意識を常に、脳に設定する事を習慣にして行こうと努めます。私の中で、最重要課題です。奥が深く、容易ではありませんが、だからこそ、この学びは魅力があると感じます。
読脳をどう扱えばいいか
では、伊東先生の講義をご視聴ください!
まとめ
いかがでしたか?読脳は病気症状だけでなく、生きる事全体に使える素晴らしいツールだと思います。しかし、学びはそう簡単ではないです。でも何よりも希望が持てる学びです。
いろんな分野の[達人]と言われる人たちは、その域に達するまで、
常に脳に汗をかく程、思考をし、思考の体力を付けてきた。それは筋肉を鍛えるのと同じように、思考体力を結集し、この域に達した者だけが持てる、研ぎ澄まされた勘や、虫の知らせみたいなものが働くようになったりする。
この文章は、以前読んだ「思考体力」だったか、本の一説ですが、まさしく、伊東先生がこのメソッドを体系化するのに、どれほど思考されたのか計り知れませんが、言わずと知れた達人の域です。そんな事を感じながら、「読脳」との出会いを嬉しく思い、私も、もっと脳に問いかける質問力、全体の思考力を育てていきたいと感じました。
早く「脳の情報が読める人」になりたくて、何度も伊東先生にセンサーの開発について質問しましたが、何度質問しても「それは本当に自分が必要と感じた時に得れるものです。」という回答でした。
脳の回路が自分で考えない回路だったので、そういう質問してました。思考のレベルが低かったなぁ。と今になって反省します。
本日、ku-minは、56才の誕生日を迎えました!!まだまだ学びが足りないので、kindleの電子書籍リーダーを自分にプレゼント!読書量を増やしていこうと思います。今後、いい本に出会ったら本の紹介もしていこうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。少しでもお役に立てれば嬉しく思います。
読脳アカデミーでは、オンラインで受講できるようになりました。次々と新たなスクール生が、講義に参加されています。辛い症状は、自分を見失っている状況だから、伊東先生の講義を聞きながら、質問しながら、皆と意見を交換しながら、絡んだ糸をほぐすように自分らしさを取り戻しています。 詳細はこちらからどうぞ!